無人化・軟券化・改称前
コレクションというものは入場券に限らず、古くに買えなくなったものほど価値が高くなるというのは納得いただけると思います。硬券入場券は民営化後、徐々に姿を消していくわけですが、それ以前に国鉄時も無人化や軟券化(券売機発売)により硬入の見られなくなった駅が増えていきました。各駅によってその時期が違い、買える事が出来なくなった時期(無人化や軟券化の日)が早いほどその価値が高くなります。
無人化
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昭和40年代無人化の入場券(松神駅) |
昭和40年代、現在では考えられないほど各駅に駅員が配置されていました。しかし、昭和40年代半ばより合理化という名の人員削減が行われ徐々に無人駅が増加していきます。この昭和40年代の合理化初期に無人化した駅の入場券は価値が上がり、特にそのような駅はローカル線の小駅で、入場券のほとんど売れなかった駅ばかりですので希少価値という要素も大きいです。写真は五能線松神駅の入場券。昭和46(1971)年10月1日無人化で、私の持っている数少ない昭和40年代無人化の硬入です。先日、昭和38(1963)年に無人化された指宿枕崎線開聞駅の入場券がヤフーオークションに出品され、76,000円という高値で落札されたのは記憶に新しいところです。
軟券化
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桜木町駅入場券(昭和51年軟券化) |
手持ちの資料では、券売機化を採り入れ硬入を廃止した一番最初の駅は中央本線八王子駅で昭和47(1972)年6月1日に券売機化が行われています。その後昭和50年に入り山陽本線や鹿児島本線の多くの駅で軟券化され月日を追うごとに徐々に軟券化駅が増えていきます。軟券化された時期が早いほど価値は上がるわけですが、機械化が導入される駅という事は当然、入場券の売れた枚数も多い駅であり、同じ時期に無人化したローカル駅の入場券と比べると希少価値という点ではやや劣りますが、それでも昭和50年代初期に軟券化され、民営化後に再発売(軟券化や無人化駅でもその後、記念的、或いは駅員配置復活などで長い空白期間を経て硬入の復活発売がされた駅が多くあります)されなかった駅の入場券は値が上がります。
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柏駅入場券(100円の時代に軟券化) |
また、昭和53~55年頃に無人化、軟券化した駅の80、100円券は少々価値が上がります。次セクション、『60円から80円へ』の項で詳しく解説しますが、60円までの券より80円以降の券の方が人気があり、例えば、千葉県で最も乗降客数の多い常磐線の柏駅は入場券自体もかなり売れていると思いますが、この駅は昭和55年12月、100円の時代に軟券化していて80円~の発売期間が短く、また民営化後の復活発売も行われておらず、80、100円の柏の入場券は比較的高値が付いています。
駅名改称前
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周防富田(現新南陽)駅の入場券 |
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麻績(現聖高原)駅の入場券 |
無人化、軟券化と同様に改称された駅の改称前の入場券もその時期が古いものは高値がつきます。ただ、著名な観光地や温泉地の最寄り駅など入場券も良く売れたであろう駅に関しては、ネットオークションなどでも案外安値で取引されているケースもあるようです。写真上の山陽本線周防富田(現新南陽)駅はあまり出品されることが無く高めですが、下の篠ノ井線麻績(現聖高原)駅は良く見られネットオークションの落札価格も低めです。
これらの項目は入場券の価値を決める重要な要素となっていて、値を決める基本項目になっています。なお、無人化や軟券化される1日前の最終日日付ですが、硬券がまだ現役の頃は価値を上げる要素のひとつだったのですが、業者が廃札券(無人化や軟券化などで不要になった切符)に最終日付をダッチングしたものを売りに出したりして実際に駅で売られたものかそうでないのか、定かではなくなっています。私はこの最終日付に関しては興味がありませんが、一部の方には購入の重要な要素のひとつとなっているようです。
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