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2005/03/21撮影 |
塩尻駅は国鉄時は中央本線の途中駅でしたが、事実上運行はこの駅で分断されており、東京~塩尻間は中央東線、塩尻~名古屋間は中央西線と呼ばれ(明治時代には実際にこの呼称の路線が存在しましたが、区間は別のものです)東京方、名古屋方それぞれから来た電車は松本方面に向かうものが多数を占めていました。開業当時は東京~名古屋間を直通する構造をしており名古屋方から松本方面に向かうにはスイッチバックを強いられる構内の配線をしていましたが、昭和57(1982)年5月7日に駅を500m北方(松本寄り)に移転し、大規模な配線の変更工事を行いました。東京~名古屋の直通方式をやめ、それぞれの方面から松本方面へ行く路線を優先する(スイッチバック無し)配線が採られました。この後塩嶺ルートの新線が昭和58(1983)年7月5日に開通し、更に構内の配線を変更し現在の塩尻駅の構内配線の形が完成しています。なお、東京~名古屋の直通の配線もされていますが、塩尻駅ホームを経由せず手前でそれぞれの路線に入る短絡線が配線されています。ホームに入る際はスイッチバックの形式となります。
そんな中央本線内の要衝、塩尻駅からは4方向に向かって列車が発着していきます。ホームは3面6線で、駅移転時に建てられた橋上駅舎を備えています。この駅の開業は篠ノ井までを結ぶ現在の篠ノ井線の部分が最初でした。その後路線工事が進むにつれ所属路線も色々と変わりました。民営化後には中央本線も分断され、東京からこの塩尻までがJR東日本、この先名古屋まではJR東海の管轄になっています。
開業時の東筑摩郡塩尻村は昭和2(1927)年4月1日の町制施行です。その後塩尻町とその他4村による合併により昭和34(1959)年4月1日に塩尻市として市制を施行しています。
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