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2005/09/28撮影 |
冠着駅を出た電車はすぐに冠着トンネルに入ります。このトンネルから下り勾配になり、トンネルを抜けると千曲市に入っています。羽尾信号場というスイッチバックの行違い設備を過ぎて、やがてこの姨捨駅に到着します。駅の周辺は山の中腹に当たり標高は551mで、駅ホームから、或いは車窓から眼前に善光寺平(長野市周辺)の壮大な景色が飛び込んできます。根室本線の狩勝峠越え(現在は別ルートになりこの景色は見られません)、肥薩線の矢岳越えと共に姨捨からの景色は日本三大車窓と謳われ、篠ノ井線の名物になっています。
駅ホームは相対式の2面2線で、本線から枝のように分岐して駅が存在するスイッチバック式の構造をしています。下り電車は本線から分かれてそのまま駅ホームに進行し、駅に停車後バックで進み本線に戻り、再度前進して稲荷山駅を目指します。上り電車はバックをして駅ホームに進入し、その後は前進して冠着を目指します。かつては駅員を配置していましたが、昭和47(1972)年無人化。その後簡易委託により駅員を配置していたこともありましたが、現在は無人化されています。
姨捨の駅名は、駅南にある冠着山の別称、姨捨山から命名されています。古くからの昔話でも伝えられる姨捨の物語や、映画『楢山節考』でも知られる姨捨の伝説がある山として有名です。また、駅の周辺には山の斜面を利用した棚田が一面に開けていて、その田1枚1枚に映る月という意味の『田毎の月』という古来よりの言葉で知られる月の名所としても知られており、古今和歌集には田毎の月の語を使ったたくさんの句が残されています。駅のホームからは棚田の開けた様子がいまひとつわかりませんが、駅から1kmほど離れた所にある長楽寺というお寺からは棚田の眺望が開けており、かつて田毎の月に魅せられた松尾芭蕉が訪れ俳句を詠んだといい、境内にはたくさんの句碑・歌碑が建立されています。
駅開業時の住所は更級郡八幡村(さらしなぐんやわたむら)。八幡村は昭和34(1959)年6月1日に同郡の稲荷山町、埴科郡屋代町・埴生町との2町2村との合併により更埴市(こうしょくし)として市制を施行しています。更に平成15(2003)年9月1日に更埴市、更級郡戸倉町・上山田町の1市2町の合併により千曲市が誕生し、更埴市は消滅しました。JR信越本線がしなの鉄道となり、現在千曲市内にあるJRの駅はここ姨捨駅のみになっています。
【姨捨駅周辺の空中写真】
上のリンクをクリックすると姨捨駅とその周辺の空中写真が見られます。駅周辺に開けた棚田の様子が良くわかり、また、その先に位置する善光寺平の始まり部分と、千曲川の流れも確認できます。写真はサイズの縮小をかけたのみでトリミングは行っていません。その為600Kバイトを超えるファイルサイズになってしまっていますが、あえてそのままにしてあります。元の画像は約900万画素のサイズがあり、この縮小画像よりもっと迫力のある棚田の風景を見ることができます。ご覧になりたい方は下のリンク先をたどって、探してみてください。
※この写真は国土交通省国土計画局GISホームページ内の国土情報ウェブマッピングシステムの空中カラー写真の画像を転載しています。なお、ちきページ内で使用するに当たり、画像のリサイズ(縮小)を施しています。
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