記憶に残る郵便局(其の2)
迷った末に探し当てた局を前回紹介しましたが、今回も同様に迷った局を取り上げます。今回は簡易郵便局のおはなし。
青森県の南西端、日本海に面して深浦町という自治体があります。この深浦町にはJRの五能線が走っており、私はすでにこの路線の駅訪にてこの町には来たことがありました。五能線には風合瀬駅がありますが、本来集落となっている部分は、海沿いにある駅からは離れていてかなり内陸に寄ったところにあります。この風合瀬の集落内に郵便局があるのですがこれが見つからない。簡易郵便局というのは郵便局が窓口業務を自身以外に委ねているところなので、その形態もさまざま。商店内にあったり普通の住宅の玄関にあったりとバラエティに富んでいます。郵便局訪問を始めてからそれほどの期間は経っていないため知識も乏しく、また地図も大まかな位置に局の所在が記されているのみで迷いました。
周囲の人に尋ねてみると、「来る途中にお寺あったでしょ。そこがそうですよ。」というお言葉。周囲をうろうろしていて、『寺しかないな。』と思っていたのですがまさかお寺が受託先だったとは。この局に関しては『やられた。』という感情が湧いてきました。今回の訪問でお寺も受託先になるんだと学習。この後2件ほどお寺内の簡易郵便局を訪問しましたが迷うことなくたどり着くことができました。(写真左手が本堂。正面の事務所内に郵便局が設置されています)
この日は弘前出張に乗じて前日から車を走らせ秋田道上にて夜を明かし、早朝JR男鹿線の駅を訪問した後、秋田北部から五能線沿線の郵便局訪問を敢行しました。五能線は駅訪を終えているので、駅は気になるもののみを見学、郵便局訪問がメインとなりました。
途中、大間越簡易郵便局では機械のトラブル、前述の風合瀬簡易郵便局で少々迷いましたが、それ以外は順調に局数をこなしていきました。鰺ヶ沢からは五能線(国道101号線)を離れ県道3号線を通り弘前へ向います。この道は岩木山の南部を通る山の中の県道です。鰺ヶ沢町の市街地からかなり南下して岩木山が目前、というところにこの芦萢簡易郵便局があります。写真の通り商店併設の立派な局舎の簡易局です。
貯金を済ませ通帳を受け取るときに、受託者の方に「ここの局名、読めますか?」と質問されました。私は浅いですが地名好きでもあります。この局名は読むことが出来ましたので「はい。」と言いつつ通帳を受け取りました。ここは『あしやち』という地名で、この萢という文字は津軽地方の地名には良く見られるもので、つがる市には富萢簡易郵便局が存在しますし、五所川原などでもこの字の付いた地名をよく目にした記憶があります。局員の方に局名の読みを聞かれたのは現在までこの局のみ。難読地名とそのことを更にアピールする受託者のいる簡易郵便局、こういう局も印象に残ります。
当サイトをご覧の方は私が鉄道の駅に関心があるのはおわかりかと思います。この日は前述の弘前からの帰り道で、秋田北部の郵便局を回ろうと考えていました。その際、旅客営業の廃止された小坂鉄道の小坂駅は訪問しようと考えていましたが、駅訪は他に考えておらず、郵便局主体で計画を立てました。
大館市から小坂町に入る直前に雪沢簡易郵便局があります。県道から少し奥まったところにあり、ナビを頼りに向うと何やら駅らしい雰囲気が。ナビには鉄道を思わせる表示が一切無かったために何かと思ったのですが、ここが小坂鉄道が旅客営業廃止後に貨物駅として唯一残った中間駅の茂内駅でした。駅舎内には入れませんでしたが、旅客駅当時の面影はそのまま残しており思いがけない駅訪となりました。
この茂内駅のはす向かいに雪沢簡易郵便局があります。新築されたばかりの局舎が、駅はなくなれど集落があることを証明してくれます。 (小坂鉄道の貨物営業はH19年4月1日付けで廃止されています)
札幌出張に乗じ、出張終わりに1日休みを取り北海道の郵便局めぐりを計画。どこへ行こうか思案しましたが、室蘭本線の由仁駅が新しくなったこと、また廃止後の楓駅も見てみたかったので夕張周辺から富良野を経由し、芦別あたりまで足を伸ばせたらと思いルートを選択しました。
夕張はかつて炭鉱の町として大きく栄えたところで、昭和60年までは17の郵便局がありましたが、現在は13局にまで減少しています。市内の南大夕張局内に入ると、局オリジナルのはがきに風景印を押印したものが販売されているのが目に留まりました。このはがき、局長氏自らが撮影した夕張の森林鉄道に関した写真を使用したもので、購入する旨伝えると局長より写真についてのご説明を頂きました。2枚組みのはがき1枚は実逓にて差し出し、もう1枚を記念に持ち帰りました。
写真にはシューパロ湖に架かる三弦トラス橋が写っておりなかなか趣があるものでした。局長が「この写真の遺構も数年後に新たなダムが出来ると完全に水没してしまうんですよ。」とおっしゃられていましたが、その言葉が耳に残っています。
本来ならばこのコンテンツの一番最初に乗せるべき局だったのがこの局です。郵便局訪問という趣味を始めるに当たって、自宅最寄りの局で通帳を作成。その翌日、青森県の十和田市への出張時に通帳を持参し初の訪局を敢行しました。
当時は未訪問のJR東日本の駅が宮城県内に残っていたので、駅を訪問しつつ北上、そして一番初めに訪問したのが大崎市の敷玉郵便局ということになりました。特にここへ来ると決めていたわけではないのですが、一番最初ということでやはり記憶に残っています。この後市内の古川稲葉郵便局を訪ねたあと一気に青森県に入り、このコンテンツの一番最初に紹介した七百簡易郵便局の訪問へとつながっていきます。
簡易郵便局といえばのどかな田園地帯にたたずむ景色が思い浮かんだりしますが、それとは反対にその辺の郊外にある郵便局よりもよっぽど忙しそう、なんて簡易郵便局も存在します。今まで訪問した簡易郵便局の中で一番混雑していたのがこの巣子簡易郵便局です。
何せ引っ切り無しに客が訪れ10台止められる駐車場は空くことが無く、写真ではあふれた車が本来駐車場ではない局舎前に止められているのがおわかりかと思います。所在の滝沢村は盛岡市のベッドタウンとして人口が膨れ上がり、日本第一位の人口の多い村。巣子簡易郵便局は村内の重要な郵便及び金融機関の施設のひとつとし機能しています。局員の忙しさを見てこんな簡易郵便局もあるんだ、とただ感心してしまいました。
2007年8月22日訪問記緑より
今回は郵便局の話ではなく、ある特定の訪問日に注目してみました。最も特異な訪問日となったのがこの2007年8月22日ということになりましょうか。民営化を40日後に控えたこの日、左のリストのような訪問記録になっています。リスト中の【銀】は民営化後にゆうちょ銀行併設となり実質貯金業務を行わなくなった郵便局、【改】は改称されて現在は違う局名になっている局、【廃】は現在は廃止されて存在しない局、の意味を持っています。
要するにこの日訪問した局では現在では貯金することが出来ません(厳密に言うとであって、実際は品川郵便局内で貯金は出来ますが、ゆうちょ銀行品川店の扱いということになります)。改称や閉鎖、廃止局などの情報を元に訪局することは良くありますが、このように16局もまとめてというのは後にも先にもこの日を除いて他にありません。しかも訪問した局全てということでこの日は特別な日ということになりました。公共交通機関を使っての訪問で、無茶苦茶暑かったのも記憶に残る一因となっています。
郵便局巡りを始めた副産物として、一度訪れた駅の近くにある郵便局を訪問したついでに、駅の変化などを確認するために再度訪問できるといったことがあります。駅訪問のみをしていたときは、特に駅舎などが新たに建てられたということがない限り再訪することはないのですが、郵便局巡りを始めて特に変わったことがない駅でも見に行ったりすることがあります。
JRの駅は現在では無人化された駅が多く、駅舎も本来の駅舎の在り方から変化をして、他の施設などを併設して有効利用するといった動きが多くなっています。駅舎に郵便局が併設されるケースもそんなうちのひとつ。JRの駅にはいくつか見られる郵便局併設駅舎ですが、そのうちのひとつがここ、徳沢駅(JR磐越西線)に設置されている徳沢簡易郵便局です。
駅訪問は1月の雪景色の中、郵便局は10月の秋深いさなかに行ったのですが、駅舎自体には変化が無いものの、その景色の変わりようを見てなかなかいいもんだなという感情が湧いてきました。徳沢駅は福島県の西端に位置し雪も多く降るところで、雪景色の駅舎を撮ることに満足していましたが、秋の雪のない駅舎もまた一味違うなと写真を見比べて思いました。色々な角度から駅舎を見ることが出来るような気がして、郵便局に行く際には駅の再訪も絡めて計画を立てたりしています。
各市町村には概ね1局は本局と呼ばれる大きな郵便局が存在します。このような大きな郵便局で貯金する際は特に機械的となり、あまり会話などする機会も無く印象に残る局は少ないのですが、ここ新里局では貯金担当のイケメンのお兄さんに気さくに声を掛けていただきました。
新里局は現在は宮古市の一郵便局ですが、合併前の下閉伊郡新里村の本局で、同村の集配業務を引き受けていた局でした。私が訪問したのは集配業務廃止の直後で、局内も幾分静かな感じがしました。風景印を頂き貯金を終えると、「今まで何局くらい回られているんですか?」と声を掛けられました。私は10円ずつ預け入れをしているので「その合計金額から0をひとつ取ると局数になりますよ。」と答えました。当時1,000局を少し超えた程度の局数だったのですが、局員の方はえらく感心しておられました。「そのくらいの局数ではまだまだですよ。」と言って局を後にしましたが、局数を聞かれたのは現在まででもこの局が唯一でして、えらく印象に残っています。
平成19(2007)年10月1日、日本郵政公社が分割民営化されました。当時私は山形県の酒田市に出向いておりました。酒田千日町局は民営化当日、最初の訪問局となりました。
出入り口のサインなどはオレンジ色を基調としたものに変わりましたが、貯金をするといった行為には何ら違いはありませんでした。無事貯金を終了、この局にとっても私が民営化後初の客だったのですが、そんなことは記録されたりはしないんでしょうね。
この後、酒田駅前局に行ったのですがこちらでは年配の郵趣家の方がたくさんのはがきを持参し、風景印押印を依頼されていました。そんな光景に民営化を感じながら仕事に戻りました。
民営化後、貯金・為替などは、株式会社ゆうちょ銀行が業務を行うことになりました。ゆうちょ銀行は233の窓口があり、秋田店、郡山店を除いて全て郵便局内に併設という形で営業が行われるようになりました。(民営化当時。この文up時の平成21年11月現在では本店、大阪店も単独窓口で業務が行われている。ただし、大阪店と同一建物内にある大阪中央郵便局では貯金の取扱は行われていない。)
ゆうちょ銀行併設の郵便局では貯金業務はゆうちょ銀行が行うわけですが、私は郵便局が改称されたら改称後に再訪問の対象としており、局所コードが変わらず通帳に押していただくゴム印の名称が変わるといった点では、ゆうちょ銀行になったのと局が改称したという点では同一ですので、ゆうちょ銀行化の局は改称局とみなし再訪問の対象とすることにしました。
私のゆうちょ銀行初訪問がここ、福島店となりました。郵便局(福島中央郵便局)の時分にすでに訪問していますので、局舎そのものは何ら変わりはありませんが、サイン看板類にはオレンジ+緑が目立ち、窓口も郵便窓口と貯金窓口は完全に分離されたのが大きな変化でした。通帳にも『ゆうちょ銀行福島店』が刻まれ、初訪問は無事に終了しました。
民営化により大きく変わったもののひとつにサイン看板があります。郵政公社の時代は赤を基調としていましたが、民営化後にはオレンジ色へと変わりました。
観光地ではそこ独自の条例のようなものがあり、看板について制約を受けることがあります。オレンジの派手な色を嫌い、地の色を白にしている郵便局は割と見かけることが出来ますが、この裏磐梯局の看板はこげ茶色です。この看板、公社時代からこの色をしていたようで非常に特徴的。
ゆうちょ銀行のATMを表わす看板も緑ではなくこの色、ポストも赤ではなくこの色を使用しています。ポストの赤くらいは許してあげればと思うんですが、徹底しています。この観光地内では、郵便局だけではなくセブンイレブン(コンビニエンスストア)やENEOS(ガソリンスタンド)といった看板類も見事にこげ茶色を使いなかなか面白い町並みとなっています。
郵便局データベース、などというコンテンツを展開している関係上、郵便局の歴史には少なからず興味があるわけですが、官報や現在の郵便局の移転のお知らせなど文字だけではわからない、現場の方の情報が非常に大事だというお話。
北海道、日高支庁に新ひだか町という自治体があります。この自治体は平成18(2006)年に合併により新しく誕生したわけですが、合併以前の日高郡三石町の地域に鳧舞簡易郵便局があります。この簡易局、商店併設の立派な局舎ですが、受託者のおば様に局の歴史について話を伺うことが出来ました。
鳧舞は海沿いにある小さな集落ですが、かつてはこの地域が大きな集落で(特定)郵便局もあったということでした。ただ、鉄道(日高本線)開通に伴い町の中心が駅(本桐駅)周辺に移ってしまい、郵便局もそちらへ移転してしまった、とのことで長らく郵便局空白地帯になり住民の請願で簡易郵便局がこの地に生まれたという話を聞くことが出来ました。
当サイト他をあたってみると、昭和10年10月に日高本線本桐駅が開業、昭和14年に鳧舞郵便局が本桐駅前に移転し、本桐郵便局(現存)に改称しています。鳧舞簡易郵便局の開設が昭和40年ということで、見事にお話と局の履歴が一致します。このように話を聞かないと移転理由などわからないことは多くあるわけで、今後も多くのお話を聞くことが出来ればいいなと思っています。
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