記憶に残る郵便局(其の1)
私が郵便局を回り始めたのは平成18(2006)年8月からでした。その歴史の中で一番初めに訪れた簡易郵便局がここ、七百簡易郵便局でした。エコーはがきって何?と質問するほど当時郵便全般に全く知識がなかったので、特に簡易郵便局といってもそれほどの感慨はありませんでした。ただ、受託者の方に「車で回られてるんですか?それならばスピード違反よりも踏み切りの一時停止はちゃんとやってください。あちこちで取り締まりやってますから。」とアドバイスを受け、その後本当に取り締まりに遭遇したのをやけに覚えています。この日は郵便局めぐりはサブ的で、十和田電鉄の駅訪を主体に車を走らせていたことも要因だったのですが。
私は東京都八王子市に在住しておりますが、市内では印象に残っているのがこの局です。新興住宅団地の一角に設けられた旧特定局で開設は昭和47(1972)年と比較的若い局ですが、開局当時の住宅を改造した局舎が今もなお健在です。装飾された屋根に〒マークもいい味を出しています。市内の古い局舎といえば上恩方郵便局ですが、この局もなんともいえない風情を醸し出しています。
初めて通帳を更新した局ということでよく覚えています。3冊目からはどこで更新したかということはほとんど記憶にないのですけどね。
前述の二本松大平局から2局挟んでこの百目木局にたどり着きました。訪問日は平成18(2006)年10月10日。この局、約1週間前の10月2日に集配業務を廃止しています。局名の響きが良かったので風景印を頂こうとお願いしたところしばらくして「すみません。実は集配業務廃止に伴って局内を整理していて風景印が見当たりません。」ということで、後日郵送していただいたというエピソードがありました。
福島市の南西部に土湯という集落があります。ここは市内では飯坂温泉に次ぐ著名な温泉街となっており観光客も多く訪れます。その一角に土湯温泉郵便局があります。温泉地には郵便局が設置されているところが多くありますが、この土湯温泉もそのうちのひとつ。そして私が訪ねた初めての『温泉』郵便局です。とくに観光で温泉巡りなどはしないのでそれほど思うところもなくやってきたのですが、その途上での温泉街の風景に目を奪われました。少し高所から温泉街を一望できるのですが、この景色に魅せられこれ以降は温泉街の郵便局訪問とともに温泉街の全体像を写真に収める、という興味も湧いてきて今日に至っています。街の真ん中に川が流れその端々に立つホテル、旅館。何ともいえない風情があります。(写真は土湯温泉街の風景です)
この局訪問の前に郵政公社のサイトで移転の情報を確認していました。局に行ってみると入り口にその旨貼り紙がしてありました。受託者の奥様とその事について話をしましたが、なんでもこの局舎、建設時は町の中では知らない人はいないほど有名なモダン建築物(建設当初は局ではなく集会所か何かということ)として名を馳せていたとの事で、なるほど古い建物ではありますが重厚な木造2階建ての建屋は立派なものでした。全体写真は局データベースのインデックスページに置いてあります。なお、移転は釜石道延伸工事によるもので、移転後は可愛らしい局舎が新たに建てられています。
盛岡出張の帰りに西和賀町を南下するルートで局めぐりを行っていましたが、降り出した雨がだんだん強くなりこの川尻局に到着した際にはものすごいことになっていました。あまり外に出たくないので、局舎の写真は車の中から撮影しています。こんな雨ですからお客さんもおらず処理は滞りなく終わりました。来る途中、当時再開したばかりの川尻大通簡易郵便局を見つけることが出来なかったので、ここの局員さんに尋ねましたが丁寧に局の位置を教えていただいた事が思い出されます。
上の川尻局から更に進み北上市へ着いた頃には雨も上がっていました。北上から更に南下し、奥州市に入りそれほど時間もないので簡易局を回ろうと旧衣川村へと入りました。ここには再開したばかりの北股簡易局、南股簡易局がありこの二つを回ろうとまず北股局を目指しましたが再開時に移転しており、なかなか見つからずやっとの思いで到着。時間がないので衣川の本局をパスしこの南股簡易局をめざしました。この局も再開時に移転しており、旧郵政公社のサイトではまだ移転前の位置が地図に示されておりおまけに周囲に人影もなく時計は4時10分前を指していました。うろうろしていると偶然人が通りがかり、「このあたりに郵便局ないですか?」の問いかけに「郵便局?あったかな。」という返事。地元の方ではないようでしたが3人いた中の一人が「あ、この大通りをもうちょっと向こうに行った道沿いに確かあったような気がする。」ということだったので急いで車を走らせやっとの思いで局を見つけることが出来ました。
風景印で印象に残った局を2局ほど紹介です。風景印とは簡単に言うと絵入りの消印のことで、その郵便局独自の図柄を持っており、図柄はその土地の名物、名所、収穫される作物など色々な意匠が施されています。ただし全ての郵便局に配備されているわけではなく全郵便局のうち凡そ半数の局に置かれています。極一部ですが簡易郵便局にも配備されている所があります。
私の風景印収集はとても気まぐれで、全ての局でもらうわけではありません。市町村(消滅した市町村も含む)の代表的な局や著名な観光地、温泉局、駅前局などはもらうようにしています。ただ、貯金窓口に待ち人数がなく、郵便窓口に行列が出来ている場合などはまずもらうことはありません。そのくらい気まぐれです。そんな調子なのでそれほど多くの印は手持ちにないのですが、その中で一番好きな図柄がこの大館局の風景印です。
大館は忠犬ハチ公でおなじみの秋田犬の発祥地で、市内では風景印に秋田犬をデザインしている局が数局あります。秋田犬は大型犬で精悍な顔つきが特徴ですが、この大館局の秋田犬は大変小柄に見え、まだ幼犬といった感じもしてとても可愛らしいのですが、それに比して顔はなんとなく引き締まった顔をしており個人的にとても好きな図柄に仕上がってます。私が和犬好きというのもその要因のひとつとなっているのは否めませんが。
二つ目の局はこの寝屋川萱島局。実際私はこの局を訪問しているわけではありません。当サイトの郵便局データベースをはじめネット上では大変お世話になっているしみず氏は『発車ベル使用状況』というサイトの作成者でして、その筋の方には非常に名の知れた方なのですが、このしみず氏は私に郵趣という分野の趣味をご教示くださった方でもあります。氏はすでに9,000局にも迫ろうかという局所を訪問(平成21年6月現在)されている郵趣家でもあります。
しみず氏はその訪問先から、風景印を押印したお葉書を私宛てによく送っていただきます。その中でも印象に残っている風景印がこの局の風景印です。図柄は京阪の萱島駅を題材にしたもの。この萱島駅、日本では有数の特徴のある高架駅で、ホームのど真ん中に楠木の大木が突き抜けているなんともユニークな駅で、風景印は見事にその駅そのものを扱ったもの。このお葉書を頂戴したときには『こんな風景印もあるんだ。』としばし感心してしまいました。○○駅前郵便局の風景印でも実際にその駅を題材にしたものは少ないので、この寝屋川萱島局の風景印は素晴らしいものだと個人的に思っています。
平成18(2006)年暮れ、茨城県にある南簡易郵便局がこの年をもって一時閉鎖されると発表があり、現地に赴きました。青春18切符消化のために公共交通機関を利用、JRで潮来駅まで行きそこからはバスでの移動となりました。無事南簡易局を訪問、その後徒歩にてこの行方局へと移動しました。歩いている最中にあいにくの雨となってしまいましたが程無くしてこの局に到着。貯金を済ませこの後バスで潮来駅に戻ります。
次のバスまでは1時間以上の待ち時間があり、雨が更に強くなってきました。しばらくすると局の職員の方が声をかけてくださり、局内で雨宿りしては、とのありがたいお言葉を頂き雨をしのぐことが出来ました。局内ではまだ書いてなかった年賀状を全て書き上げ、まもなくバスの時間となりました。こういう局は強烈に印象に残ります。この後、駅舎が新築されたJR成田線の滑河駅へと向うはずだったのですが、何を間違ったのか同線内の笹川駅がその対象だと思い込んでおり、下車して面食らった、というあほなことをやらかしました。滑河駅訪問後、佐倉駅周辺の郵便局でも回ろうか、と考えていたのですがそれも叶いませんでした。
平成19(2007)年の3月に全共連ビル内局が一時閉鎖、赤坂パークビル内局が移転改称されるという情報が掲載され、この2局を中心に数局訪問することにし都心部へとやってまいりました。永田町、赤坂見附近辺は土地勘があり、迷うことも無いだろうと思いまずこの町村会館内局へとやってきて驚きました。
土地勘があると書きましたが、私はこの地に3年ほど通勤していたのですがその勤務場所というのがこの郵便局のビルで、この建物の新築工事に携わっていたのです。首都高4号線を走るとこの建物が見え、私も幾度と無くこの近くを通っていたのですが、まさかこのビルに郵便局が入っているとは思っていませんでした。建物が竣功した当時はこのビルは町村会館(正式名称は全国町村会館)の所有物ではなかったのですが、15年も経つと色々と変化がある様で。現在はこの建物が町村会館の西館となっているようです。本館は写真向って左手にあり、これまた私がいた当時とは比べ物にならない立派なビルとなっていました。因みにその当時はこの本館のほうに郵便局がありました。
郵便局をめぐっていると、迷いに迷った末にようやく局を探し当てた、という経験をした方も多くいらっしゃると思います。私の訪問記緑の中で一番探すのに時間がかかったのがこの局です。この局は平成15(2003)年の9月に現在の地に移転しており、同時に改称をしています。改称前は浜三沢という局名で、三沢飛行場に近い場所に局がありました。私がこの地に来たのは平成19年3月だったのですが、車のナビ、持って行った地図ともども浜三沢局がその場所として刻まれており、当時は市販の地図で計画を立てていたのでネット上の情報をよく見ていなかったというのも手伝い迷いました。
ただ迷うのであれば周囲の人に聞けばいいのですが、実際に行ってみると特に建物が見られない荒涼な平地が広がっていて、人の気配がありません。後で調べてみると飛行場の騒音などの問題でこの地にあった街の機能がそっくり他所へ移転したということで、これを知らずに狐につままれた感じでした。局の写真の撮影情報を見返してみると、この前に訪問した三沢大町局の写真撮影時間がPM2:01となっていて、次の三沢大津局がPM2:44となっていますから、40分もうろうろしていたことになります(三沢大町局が少々混んでいたというのはありますが)。この後の予定が大幅に狂ったのは言うまでもありません。現在では情報を得る手段も確立されてこんなことはありませんが、今となってはいい思い出です。
其の2
其の3
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