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2004/06/02撮影 |
平成11(1999)年9月30日に起こった、原子力発電所に使用される燃料の再転換工場における放射線漏れ事故で、JCO、臨界などと共に、東海村の言葉が盛んにマスコミを賑わせました。その東海村にある唯一の駅がこの東海駅。常磐線、日暮里から下ってきて初めての自治体が村にある駅になります(現在、常磐線内ではこの駅のみです)。駅は少し内陸部に位置していますが、駅から東へ3Kmほど行った海沿いには、原子力に関する様々な工場、研究所が建ち並んでいます。
そのようなわけで、駅利用者は多く、この辺りでは一番早い平成5(1993)年12月に、写真のような面構えの多目的ホールなどの機能を併せ持った、橋上駅舎に建て替えられています。写真と反対側も同じような造りになっており、とてもここが『村』の駅とは思えません。村は原子力のおかげで繁栄し、駅も立派なものになっています。
駅周辺の市街地も賑やかで、特に原子力施設の人たちの住居がいくつかの団地群を形成して点在しています。東海村役場は駅より徒歩10分ほどです。
この駅は旧称を石神といいました。もともと東海村は昭和30(1955)年3月に、石神村と村松村の2村が合併して出来た村で、この合併に合わせて駅名も改称されています。現在茨城県下では平成の大合併の名の下、たくさんの市町村が合併を目論んでいますが、この東海村ではそんな話はとんと聞かれません。これだけの工場、研究所などの施設を村が抱えていればそれも当然のことでしょう。
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