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2006/05/27撮影 |
福島県側の只見線は大正15(1926)年に会津若松~会津坂下間が開通し、その後順次延伸、昭和16(1941)年10月28日にはこの会津宮下駅まで開通しました。全通するまでは会津線と称したこの路線は、昭和31年に会津川口へ延伸するまでこの会津宮下駅を終着駅としていました。駅周辺は三島町の中心部で市街地となっていて、三島町役場は駅から徒歩5分ほどのところにあります。
駅ホームは相対式の2面2線で行き違いが可能です。会津柳津を出てからしばらく簡素な駅が続いていましたが、この駅は三島町の中心駅という事もあってか木造の立派な造りをしています。国鉄時から現在でもこの駅は有人駅で、JR直営の駅員が常駐しています。
駅開業時は河沼郡西川村という地名でした。駅名の宮下はその西川村の地籍でした。駅開業からわずか半年後の昭和17(1942)年4月1日に三谷村、原谷村と合併をし、宮下村として村制を施行し駅名と同名の村へと変化しました。宮下村は昭和30(1955)年7月20日に西方村との合併により三島村となり消滅しています。三島村は昭和36(1961)年4月1日に三島町として単独に町制を施行し現在に至ります。
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