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2004/04/21撮影 |
信越本線が全線開通したのが明治37(1904)年5月3日の事です。ここで言う全線とはもちろん、現在の信越本線の前身、高崎からこの横川、軽井沢、小諸、上田を経由して、現在のもうひとつの信越本線である篠ノ井~新潟を直通する路線の事です。この信越本線は中央本線と並んで、関東より信州に至る重要な幹線でしたが、平成9(1997)年10月1日に北陸新幹線の一部分である高崎~長野間が先行開業し、同時にこの信越本線は分断、3セク化されました。軽井沢~篠ノ井は第3セクターのしなの鉄道に移管され、横川~軽井沢は鉄道を廃止、バス路線へと転換されています。
新幹線開業前、この横川駅は信越本線の中でも非常に重要な役割を持つ駅でした。この先、軽井沢までの碓氷峠越えを控え、機関車などの増結作業が行われる関係上、必ず何分間か列車は止まりました。JRの中でもっとも急勾配の碓氷峠。66.7‰(1000分の67)の勾配を越える信越本線一のハイライト部分も、現在では見ることが出来なくなっています。この横川駅は単なる盲腸線の終着駅と化してしまいました。また、停車時間中に売られた、峠の釜飯の商標のおぎのやの釜飯が、この駅の名物駅弁として人気がありました。現在でも駅で売られていますが、この先線路のない横川駅で売られているのは何かさびしい感じがします。
駅の西側に碓氷峠鉄道文化むらと称する博物館があります。当時碓氷峠を越えていった車両などがたくさん展示されています。
信越とは長野・新潟を指す言葉です。群馬県内で完結しているこの路線が、信越を名乗るのはことのほか違和感を感じます。そもそも本線というのもどうかと思いますが。
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