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2004/02/04撮影 |
昭和60(1985)年に武蔵野操車場の跡地に誕生した新三郷駅は、上りホームと下りホームが約350mほど離れていました。これは、武蔵野線の複線の線路が、操車場を挟む形で敷かれていたためで、両ホームは操車場に架かる跨線橋で結ばれていました。関西本線の久宝寺駅もこのような形態をもち(久宝寺はホーム間を地下道で結んでいました)、両駅は東西を代表するユニークな駅でしたが、平成11(1999)年3月20日に上り線(府中本町方面行)の線路が下り線側に移設され、一般的な橋上駅舎を持つ駅に変貌を遂げました。(久宝寺は平成7年に線路が移設されています。)
一般的な橋上駅舎と書きましたが、こと武蔵野線内となると話は別で、踏切の無い武蔵野線は、高架や地下を走っており、駅のホームもそれに合わせたものになっているので、この新三郷駅のような地平駅の橋上駅舎は珍しいものになっています。
線路移設の際、上り側・下り側のどちらに寄せるかは、いろいろもめたようです。もともと移設された上り側のホーム(西口)の駅の周りには公団の団地がたくさん建っており、開けていたのですが、実際には西口住民に不便な移設となったので、当然のことでしょう。このもめたことに起因して、跡地の開発事業は遅れ、現在でも手付かずの箇所が、相当数残っています。
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