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2004/03/31撮影 |
『吾妻はやとし日本武 嘆き給いし碓氷山 穿つ隧道二十六 夢にもこゆる 汽車の道』
長野県歌『信濃の国』の一節、信越本線を示す歌詞です。信越本線は東京~長野間を結ぶべく開通した路線です。新潟側(直江津)から工事が進行しこの軽井沢まで通じたのが明治21(1888)年12月のこと。先行開業していた高崎~横川間と接続するべく碓氷峠越えの路線工事が進み、碓井トンネルが開通し、横川~軽井沢間がアプト式(2本のレールのほかに歯車を噛ませて列車を運行させるもの)の鉄道でつながったのが明治26(1893)年4月1日のことです。ここに、関東と信越地方を結ぶ幹線がつながったわけですが、66.7‰という国鉄一の難所を越えたこの軽井沢駅は、横川駅と同様信越本線の要所駅でした。標高は横川駅387m、軽井沢駅939mと標高差は552mにも及びました。やがて、この区間は明治45年に電化され、更に昭和38(1963)年7月には新線の開通によりアプト式は廃止されました。ただ、難所ということには変わりなく、列車が補助機関車を付けて碓井峠を越えていく姿は信越本線の目玉の一つでした。長年関東と信越を結ぶ幹線として運行されていた信越本線は、平成9(1997)年に北陸新幹線が長野まで開通すると同時に、横川~軽井沢は廃止。軽井沢~篠ノ井までの区間は第3セクターのしなの鉄道と変わり、信越本線は分断されています。
北陸新幹線、長野県に入って最初の駅である軽井沢駅は、リゾート地として著名な軽井沢の玄関に当たります。北陸新幹線のホームは地平上にあり、新幹線開業時に建てられた大きな橋上駅舎が目を引きます。駅の目の前の山の斜面には軽井沢スキー場があり、1年中を通して観光客、行楽客で賑わい駅の乗降も多めです。信越線時代は横川から11.2Kmを20分足らずをかけてこの軽井沢駅に到着しましたが(上りの軽井沢→横川は約30分)、現在は隣の安中榛名駅より23Kmを約13分間で結びます。
開業時の住所は北佐久郡軽井沢村。開業の翌年、新市町村制の施行によりこの駅は東長倉村になりました。大正12(1923)年8月1日には単独で町制を施行し、その際に軽井沢町と名称を変更しています。もともと軽井沢は『かるいさわ』と発音していたようですが、駅名や町名は『かるいざわ』と濁ります。一説によると観光地として外国人にも発音しやすいようにと改められたとのこと。外国人の方々も多数訪れる国際観光地として町が機能しています。
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