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2005/03/21撮影 |
岡谷から先の中央本線のルートは色々な案がありましたが、紆余曲折ありこの辰野を経由するルートが選定されました。明治39(1906)年6月に岡谷~塩尻間が開通し辰野駅が開業しました。更に大正5(1916)年11月21日には伊那電気鉄道(現飯田線)がこの辰野駅まで延伸し乗換駅となり、辰野は鉄道の要衝駅を抱える町として飛躍的に発展していきました。その後昭和58(1983)年7月5日に塩嶺トンネルを抜ける新ルートが開通し、この辰野経由の路線は支線的な扱いとなり往時の勢いはなくなりましたが、それでも中央本線、飯田線のターミナルとしての機能を持つ要所駅の一つには変わりありません。
駅のホームは2面4線の構造をしています。従来の2面3線の構造に、駅舎に付随するホームから頭端式のホームが1本出ている形式になっています。飯田線の終点駅ですが辰野止まりの電車は少数で、この先岡谷方面まで足を伸ばします。また、塩尻方面へはこの辰野が起点となり折返し運転が行われています。駅舎は小振りな駅ビルといった風情の鉄筋コンクリート造の立派な建屋で、昭和58(1983)年6月15日より使用が開始されています。
駅開業時の住所は上伊那郡伊那富村(いなとみむら)。辰野の駅名はこの村の地区名を採ったものです(明治初期は辰野村がありました)。伊那富村は昭和22(1947)年1月1日に辰野町として単独に町制を施行し現在に至ります。
岡谷から先の中央線延伸のルートに辰野経由が採用されたのは、飯田出身の代議士、伊藤大八氏(いとうだいはち)の尽力が大だったといわれており、この辰野経由のルートを俗に『大八回り』などと呼んだりします。当時は塩尻峠を貫いて線路を敷く技術力もなかったといわれておりどちらが本当のところかはわかりませんが、それでも氏の功績は辰野、伊那地方の方々にとっては非常に大きなものだと思います。
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